katura

Dentelle De Callais'。 このネーミングは、リバーレースの代名詞となっています。




 
Leavers~Dentelle de Calais
           
    

リバーレースのラベルを見た事ありますか?
Calais (カレーと読みます) は、フランスの地名です。イギリスに一番近い町です。
ちなみにフランスでドーバー海峡の事は、"le Pas de Calais" となります。

calais

看板からしてオシャレです。

calais

calais市役所だったかと?

calais

英仏トンネルはcalaisから。

19世紀にイギリスで起きた産業革命は、レースの機械化にも大きなインパクトを与えました。 
 1799  HEATHCOAT(ヘスコート) により6角形の網目のTulle(チュール)製造機が開発される。

  ボビン機と呼んでいたようです。
  このシルク製チュールネットの輸出が、Nottingham に莫大な富をもたらしたそうです。
  シルク産地で有名なフランス LYON にイギリス Nottingham からシルク製チュールネットが

  輸出された事実は、一大事件だったんでしょう。

  イギリス、フランス、に於いて繊維産業は国家の  基幹産業だったのです。

  あなたが、もし綿100%のチュールネットを買う機会があるのなら イギリス製を指名して見て

  下さ い。 

  107cmX30m 規格のその商品は、元は、540cm巾を5コースにスリットしたも のなのです。

  名前もボビンネットで通じます。 今でも当時のチュールは、入手可能なのです。

  ちなみに日本製の綿100%チュールネットは、ラッセル機で作られています。

  ボビンネット機からリヴァーレース機になるには、まだ時間を要します。
 

 1813  John Leavers により糸を互いに撚り合わせながら より締まったネットを作る機械が
 発明 された。

  重要なのは、撚る(TWIST) と言う動きでしょう。これこそが、リバーレースの基本なのです。
  リヴァーレースは、Mr.John Leavers の名に由来したんですね!

  英国諜報部員の様なカッコイイ名前です。
 

 1830

 複雑な手編みレースを表現する為に、ジャガード装置が応用された。
              jagard
                  

            

 注:英国のSamuel Fergussonなる人物が、, フランスのタペストリーの技法を機械化する。

  ここに及んで現在のリバーレース機の原型が、出来たとされています。
    
 では、フランスにリバーレース機が来たのは、何年頃なのでしょうか?
 その時代の事は、

  「AUTOPSIE D' UNE TECHNIQUE LA DENTELLE MECANIQUE」

  に詳しく書かれています。
    
 下手な訳をして見ますと
 当時のレース貿易には、厳しい関税率による規制が障壁として存在していたようで、

  それに伴う命がけの密輸貿易も横行していました。
 よく理解できない文章ですが、
 「1816年 高い関税を逃れる為にフランスで現地生産を始めた。」

  と言う様な意味でしょうか?

  「イギリス人が、Calaisにリバーレース機を据え付けた。」

  との記述があります。
 その昔イギリスに近い町という事は、結構な要因なのです。

machine

  注:機械打壊し(ラダイト)に象徴される様な生活苦を逃れる為 当時、多くの英国人

  労働者が,革命後のフランスに逃れて来る。

  英国製産業機械は、TOP SECRETで門外不出であった。しかし、NottinghamからCalaisに

  新天地を求めて来たClark, Webster、 Bonnington の三人の技能者がリバーレース機の

  SET UPに成功する。

  高い関税障壁が、逆に以後Calaisのレース産業を守る事になる。

  Calaisには、多くの英国から移民が流入する 。  

  Calaisは、今でも英国の習慣が色濃く残っている町だ。

   そう言えば、Parisのフランス人が、Calaisの町の自動車マナーの良さに驚いていた。

  「まるでイギリスのようだ!」って。

                          machine
             
これを機にヨーロッパにレース機は、広まって行ったのです。

1856年当時の各国のレース台数が記されています。
 

  イギリス 5,658台
フランス 1,400台
ベルギー 34台
スイス 80台
ドイツ 70台
オーストリア 100台
ロシア領プロシア 30台
スペイン 80台
全ヨーロッパで〆て 7,452台

凄い! さすが大英帝国! 日本は、まだ江戸時代だと言うのに!

 1910   全盛期 カレーの町には、2708台のリバーレース機と そこに32000人が従事していました。

  立派な一大産業ですね!現在では、850台 2000人の雇用を確保しているそうです。
 

 

下は、糸を巻き取る作業中の写真です。リバーレースの肝となるところと思います。否、肝です。

素晴らしい職人芸です。真鍮製のリングの間に糸を巻いていきます(現在では機械化されています。)

集中している緊張感が伝わりますでしょうか?


calais

ボビンに糸をセット。

calais

セットしたボビンを重ねて行きます。

calais

糸を巻き取りはじめます。


トーションレース機は、 "組む"
ラッセルレース機は   "編む"
リバーレース機は、      "撚る" 

3種の機械は、其々違う動きによってレースを作ります。

そのなかでも、リバーレースは特に高価なレースです。
トーション機もラッセル機もリバーレースの柄を目標に進化して来ました。
今では、柄によってはリバーレース機で作られたものと殆ど同じ様なレースも出来ています。
「リバーレースだけを、盲信的に珍重するのもどうか?」との思いが、最近あります。
でも、未だにリバーレース機でなければ作れない柄も確かに存在します。
それは、機械で生産された芸術品のような感じです。

私の記憶では、平成に入ってからリバーレース機は製造されておりません。
多筬(たおさ)ラッセルレース機の出現が、かなりの影響をしていると思います。

英国ジョンジャンデイン社が最後のリバーレース機メーカーでした。1994年(平成6年)には生産を中止しています

ところで、カレーのリバーレース工場は、レンガ造りの塀に囲まれた周囲とは
隔離された一角に集中しています。
個性的とは程遠い変わり映えのしない まるで長屋の様なレース工場群です。
それに比べて各工場のリバーレース機は、各社の別注誂えで作られており
他工場の部品とは同じ部品でさえも、ほとんど互換性がありません。
 当時では、安易な参入と機密の持ち出しを防ぐ為の方策でしたが、
皮肉にも今日では故障した際の部品供給の大きなネックとなってしまっています。

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