" BOBBIN

Bobbin Lace

制作時間 1000時間 2000時間と軽く書かれていたりすると、気が遠くなるのは私だけでしょうか?

La Dentelle Au Fuseau

まるで地酒の如く郷土色豊かなレースが、ヨーロッパ各地には沢山あります。
ヨーロッパ各地に古くから伝わるハンドメイドのボビンレースは、今も根強い人気があります。
日本でも人気のボビンレースは、編みレースに分類されています。Fuseau(フィゾー) とは、紡錘(糸巻きの芯)の意です。

fuzeau

この絵は、フェルメールの 「レースを編む女」です。 (著作権等、何も考えず無断で掲載しています。)
ルーブル美術館の実物があまりにも小さいので、驚いたことを思い出しました。
根気と集中力が、この絵からは伝わって来ます。 当時のレースは、このように地道な手仕事だったのですね。
 

綿の代わりに藁を詰め込んだクッション、それは大きな針山を想像してみて下さい。
設計図とでも言うべき柄を描いた紙を、そのクッションに置きます。
かれた柄の上に針を刺し、沢山のボビンを二つづつ、交互に組みながら形にしていきます。
土筆のような形をした、そのボビンの根元には糸が巻きつけてあります。
描かれた柄の上に針を刺し、沢山のボビンを二つづつ、交互に組みながら形にしていきます。

土筆のような形をした、そのボビンの根元には糸が巻きつけてあります。
さて、こうして活字にして見ると何のことだか さっぱり判らないですね。
でも百聞は、一見にしかず。
図面と表現した紋紙(何と言うのか判りません。繊維業界ではプリントでもレースでも紋紙と言っています。)こそが、ボビンレースのボビンたる所以でしょう。
ボビンの達人となると柄を見ただけでそのレースの出身地がわかるのです。
信じられないですね。それだけボビンレースは、長い伝統あるものなのです。

BOBBIN MAIN

さてフランス ピュイ(Le Puy en Velay) の町にあるBobbin Lace Training Centre の教授するTechniqueとやらを原文通り書き出して見ます。 

  1) Cluny lace
  2) Guipure lace
  3) Torchon lace
  4) Valenciennes lace
  5) Danish lace
  6) Russian lace
  7) Fleur de Craponne
  8) Figutive lace

沢山ありますね。ボビンレースのマニアの方なら、常識なんでしょうか?当方それすらも判りません。

1) 英国にCLUNY LACE社と言うリバーレースで有名な会社がありますが、Bobbin Laceの技法の一つとは、知りませんでした。
2) Guipure laceは、日本レース業界のいわゆる 「 ギュウパー 」 の事のようで 、Chemical Lace の細いものを総称して言っております。
どうも業界中、安易な使い方をしているみたいですね。
3) Torchon laceは、イタリアの地名から来ていると言われています。 
では、Torchonってイタリアの何処にあるの?


実際にイタリアに行かれた方によると、「そんな地名は、過去にも現在にも存在しない!」と現地で言われたそうです。   
じゃあ一体 Torchonって何なの?
イタリア語"トーショーネ"が、「糸を組む」との意なのでそのあたりが由来かもしれません。本当の所は、どうなんでしょうか?
上記以外にもヨーロッパ各地には、地元の名を冠したボビンレースも数多く存在していたようです。
現在では、「村興しの為にボビンレースを地場産業に」という村も在ります。
              資料の提供は、永野ボビンレース工房さんに御協力頂きました。
ボビンレースに興味を持たれた貴女、是非連絡してみて下さい。

leavers sheet

Leavers

リバーレースのラベルを見た事ありますか?

Dentelle de Calais

Calais

リバーレースのラベルを見た事ありますか?
Calais (カレーと読みます) は、フランスの地名です。イギリスに一番近い町です。

ちなみにフランスでドーバー海峡の事は、"le Pas de Calais" となります。

19世紀にイギリスで起きた産業革命は、レースの機械化にも大きなインパクトを与えました。
機械打壊し(ラダイト)に象徴される様な生活苦を逃れる為、多くの英国人労働者が革命後のフランスに逃れて来ました。
Calaisにも、多くの英国からの移民が流入します 。
その昔イギリスに近い町という事は、結構な要因なのです。

Calaisは、今でも英国の習慣が色濃く残っている町です。
そう言えば、Parisのフランス人が、Calaisの町の自動車マナーの良さに驚いていた。 「まるでイギリスのようだ!」って。

1799

HEATHCOAT(ヘスコート)により6角形の網目のTulle(チュール)製造機が開発される。


ボビン機と呼んでいたようです。このシルク製チュールネットの輸出が、Nottingham に莫大な富をもたらしたそうです。
シルク産地で有名なフランス LYON にイギリス Nottingham からシルク製チュールネットが輸出された事実は、一大事件だったんでしょう。
イギリス、フランス、に於いて繊維産業は国家の基幹産業だったのです。  


map

あなたが、もし綿100%のチュールネットを買う機会があるのなら イギリス製を指名して見て下さい。
107cmX30m規格のその商品は、元は、540cm巾を5コースにスリットしたものなのです。名前もボビンネットで通じます。今でも当時のチュールは、入手可能なのです。
ボビンネット機からリヴァーレース機になるには、まだ時間を要します。
 

leavers_machine

1813

John Leavers により糸を互いに撚り合わせながら、より締まったネットを作る機械が発明される。


重要なのは、撚る(TWIST) と言う動きでしょう。これこそが、リバーレースの基本なのです。
リヴァーレースは、Mr.John Leavers の名に由来したんですね!英国諜報部員の様なカッコイイ名前です。
 

1830

複雑な手編みレースを表現する為に、ジャガード装置が応用された。

英国のSamuel Fergussonなる人物が、, フランスのタペストリーの技法を機械化する。

ここに及んで現在のリバーレース機の原型が、出来たとされています。 

              jagard

では、フランスにリバーレース機が来たのは、何年頃なのでしょうか?
その時代の事は、 「AUTOPSIE D' UNE TECHNIQUE LA DENTELLE MECANIQUE」に詳しく書かれています。
下手な訳をして見ますと、当時のレース貿易には、厳しい関税率による規制が障壁として存在していたようで、それに伴う命がけの密輸貿易も横行していました。
よく理解できない文章ですが「1816年 高い関税を逃れる為にフランスで現地生産を始めた。」 と言う様な意味でしょうか?
「イギリス人が、Calaisにリバーレース機を据え付けた。」との記述があります。当時の英国製産業機械は、TOPSECRETで門外不出でありました。
しかし、Nottinghamから新天地を求めて来たClark, Webster、Bonnington の三人の技能者が、Calaisでリバーレース機のSET UPに成功します。
皮肉なことにその高い関税障壁が、逆に以後Calaisのレース産業を守る事となるのです。これを機にヨーロッパにレース機は、広まって行ったのです。
1856年当時の各国のレース台数が記されています。

   
イギリス 5,658台
フランス 1,400台
ベルギー 34台
スイス 80台
ドイツ 70台
オーストリア 100台
ロシア領プロシア 30台
スペイン 80台
全ヨーロッパで〆て 7,452台

凄い! さすが大英帝国! 日本は、まだ江戸時代だと言うのに!

1910


全盛期 カレーの町には、2708台のリバーレース機と そこに32000人が従事していました。 立派な一大産業ですね!
現在では、850台 2000人の雇用を確保しているそうです。

leavers_machine

下は、糸を巻き取る作業中の写真です。リバーレースの肝となるところと思います。否、肝です。
素晴らしい職人芸です。真鍮製のリングの間に糸を巻いていきます(現在では機械化されています。)
集中している緊張感が伝わりますでしょうか?


 

トーションレース機は、"組む"
ラッセルレース機は "編む"
リバーレース機は、"撚る"


3種の機械は、其々違う動きによってレースを作ります。
そのなかでも、リバーレースは特に高価なレースです。
トーション機もラッセル機もリバーレースの柄を目標に進化して来ました。
今では、柄によってはリバーレース機で作られたものと殆ど同じ様なレースも出来ています。
「リバーレースだけを、盲信的に珍重するのもどうか?」との思いが、最近あります。
でも、未だにリバーレース機でなければ作れない柄も確かに存在します。
それは、機械で生産された芸術品のような感じです。

私の記憶では、平成に入ってからリバーレース機は製造されておりません。
多筬(たおさ)ラッセルレース機の出現が、かなりの影響をしていると思います。
注)英国ジョンジャンデイン社が最後のリバーレース機メーカーでした。
1994年(平成6年)には生産を中止しています

              machine

ところで、カレーのリバーレース工場は、レンガ造りの塀に囲まれた周囲とは隔離された一角に集中しています。
個性的とは程遠い変わり映えのしない まるで長屋の様なレース工場群です。
それに比べて各工場のリバーレース機は、各社の別注誂えで作られており他工場の部品とは同じ部品でさえも、ほとんど互換性がありません。
当時では、安易な参入と機密の持ち出しを防ぐ為の方策でしたが、皮肉にも今日では故障した際の部品供給の大きなネックとなってしまっています。


Raschel Lace

Raschel Lace

横編みは、"セーター"、丸編みは、"莫大小(メリヤス)" 、経編みは、何故 "レース" ?

Warp Lace machine

もっと安価にリバーレースを作れないか? 
この"まず値段ありき"の命題から開発スタートしたものが、経編(たてあみ)ラッセル機です。
Warp Lace machineの「Warp」とは、経糸を意味します。
何やら速そうな名前ですね!
そうです!かなりの量産機なのです。
婦人外衣では、生産ロットの為に企画がボツに成るケースも多々あります。
機械の歴史は新しく、フランスでは1958年にCALAIS に導入された記録があります。
1960年以降日本でも普及し始めました。


uemoto

1インチ間(2.54cm)の針数(ゲージ数)、 それに柄筬(がらおさ)と地筬(ぢおさ)の組合せにより柄を作り出していきます。
ゲージ数は、18ゲージ、24ゲージが主ですが、稀に20ゲージも存在します。28ゲージ、36ゲージも在ります。トリコット系の無地機です。
地筬の形上には、"チュール目" "角目" "マーキ目" 等があります。

uemoto

筬数は、多いほど複雑な柄を作り出す事が可能です。現在78枚筬の機械が、最多マシーンです。
基本機は、チェーンによって柄制御しているチェーンラッセルだったのですが、
チェーン+ジャガード付 又 チェーン+フロッピー付 等の機械もあります。
(業界新聞に、「チェーン貸します」の広告を見つけても自動車関係ではありません。念の為。)

Raschel_AI

100%コンピュター制御機も存在していて"SU" と呼んでいます。
柄にボリュームを持たせる為の、"落下版"と言う装置もあります。

私見ですが、ラッセルがファッション業界で認められた大きな要因の一つに、スパンデックス糸を上手く消化出来た事にあると思います。
それまでのレジット(伸び縮みしないレース全般をこう呼びます。)のラッセルレースは、資材向け用途が多かったのです。
スパンデックスに対応出来たことが、ファッション業界、特にインナー業界に受け入れられ大きくシェアーを伸ばしたのです。

以降、ラッセル機もインナー業界を対象に新規開発されて来た感があります。
編み幅も90インチから100インチ130インチと広くなって来ました。
基本は広幅を作る機械ですので、細幅を作る為には別途コース毎にスリットする作業が必要となります。
(柄の作り方によっては、糸を抜いて切り離す事も可能です。) 今ではスパンデックス糸を使った多筬ラッセルレースは、インナー業界標準といっても過言ではありません。
この分野では、刺繍レースから主役の座を奪ったと思います。
多筬機により製造されたレースは、本当にリバーレースと区別付き難い程素晴らしいものです。
問題は、型起こしに掛かる費用です。婦人外衣用では、おいそれとは企画し難い金額に成ります。


uemoto


それから安易に糸換え等は、口が裂けても言うもんではありません。
なんせ5000本からのビームの糸を、換える事になるのですから!(リバーレース機では、10000本だそうです。)
カールマイヤー社 のHPです。
ラッセル機以外にトーション機も載っています。


Torchon Lace

Torchon Lace

トーションレースのストールです。色んな糸に対応できます。

Barmen lace


仏和辞典でTorchonをひくと"キッチンタオル" "雑巾" "荒布"等に訳されております。 素朴な持ち味を表現しているとは言え、一寸悲しい訳ですね。
ところでヨーロッパでトーションレースと言っても全く通じません。
又ハンドメード ボビンレースの 言わゆる "トーションレース" とも意味が違っています。
では、何と言えば良いのでしょうか?
日本で言うトーションレースは、Machine Bobbin Lace (Dentelle aux fuseaux mecaniques) が正解の様です。(単に Machine Lace と呼ぶ人も居ます。)
日本でMachine Bobbin Laceをトーションレースと命名したのです。
19世紀後半にMachine Bobbin Lace 機の原型は、フランス人マーエル(Malere)兄弟によって発明され 1889年のパリ万国博にも出展されたそうです。
以降の文章では、トーションレース機と書いて行きます。
19世紀後半にトーションレース機の原型は発明され、昭和の初めにドイツより日本に輸入されました。
特にドイツ・バーメン(Barmen)にあったエミールクレンツェラー社は、かなり有名だった様です。


tsukasa

Barmenは、ドイツ産業革命の中心地で古くは紡績業が盛んな町でした。
1929年Barmenを含む5つの町が合併してWuppertal(ヴッパータル)となります。 注:ヴッパータルは、刃物の町ゾーリンゲンの北方に位置します。製薬会社バイエルン発祥の地でもあります。
故ピナ・バウシュ率いたヴッパタール舞踊団のヴッパタールとはこの町のことです。
Barmenの町は、残っていませんが、"Barmen lace"の名だけは残っていて、今でもトーションレースを意味しています。


tsukasa

Krenzler社は、1950年代に再び活動を始めるのですが、1960年代の終わりに、Wilhelm Reising(ウイルヘルム・ライシンガー)社に吸収されてしまいます。
このライシンガー製は、現在、ヨーロッパで一番普及しているトーションレース機のようです。 
コンピューター制御で有名な、あのハコバ(Hacoba)の名を付けたHacoba-Krenzlerは、一体どのKrenzlerの流れなのでしょうか?
悩ましいことに、現在するKrenzlerのHPを見つけました。
独語に堪能な方、是非内容について御一報下さい。
日本では大川特殊レース工業が、最初に製造を開始し、業界の発展の大きな礎となりました。 

 
Torchon

製法は、組紐機と同様 各々のボビンに巻かれた糸を交錯させながら、ジャガード装置によって柄を制御するものです。
実際にトーションレース機で作られた和服の組紐も多く在るのです。


tsukasa

ボビンの数によって機械の大きさ変わってくるのですが、48錘 64錘 88錘 96錘 128錘 などがあります。
(52錘は、かなりレアーな機械です。これは前述したクランツェラー製です。)
簡単なピコレースの様な物ならば、2柄同時に編み出すことも可能です。
基本的に細巾のレースしか作れません。広幅を作るには、細巾同士を縫い合わせる(剥ぎ合わせると表現します。)作業が必要になります。
糸に対する対応力は、非常に優れております。
繊細な細番手の糸(綿番手の72番以上の細さ)で作られたトーションレースのみを Alencon("アランソン" フランスの地方の名)と名付けて販売しております。
勿論レースとしての完成度も非常に高く、リバーレースと見まがう様な素晴らしい商品も沢山あります。


トーションレース機では、綿の10/3("とおばんみこ"と読みます)位の太さなんて当たりなのです。
一時期 焼き豚のタコ糸が、トーションレース機で作られていた事を知り驚いた記憶があります。
お歳暮に頂いた焼き豚が、トーションレースで括られていたなんて
(それもスパン入りのタコ糸だった。)
思いついた人は、凄いですね!


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興味のある方は、飛んで見ましょう! The Museum of the Beautiful Arts and the Lace
柄によっては、1日に10mも出来ないなんて!何と生産効率の悪い!
日本で今も進化しているレースです。

Embroidery  Lace

Embroidery Lace

刺繍レースをEmbroidery Laceと呼ぶのは、日本を含む極東アジア界隈だけです

Broderie

刺繍レースをEmbroidery Laceと呼ぶのは、日本を含む極東アジア界隈だけです。和製英語との説もありますが、どうなんでしょうか?
ここでは、Embroidery Laceと言わせてもらいます。
日本に導入されたのは大正12年、ドイツより東京都内の日本製紐に納められた、と記録に残されています。
この会社は、名前のとおりパラシュートの紐なども作っていたそうで、後に東邦レースと名前を代えます。
戦争中には何度も鉄屑になりかけたらしいのですが、無事に激動を乗り越えました。
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エンブロイダリー機は、前述のリバー、ラッセル、トーション機に比べ圧倒的に大きな機械です。
機械は、上下2段同時に動きます。
最近では、片段や、左右2段なんて機械もあるようです。見た事ありません。
スイス・サウラー社のデーターを参考にすれば、上下に1250mm動く機械で、高さ(床面より)4.52m、設置場所の高さ4.7m、地溝の深さ0.93m、長さに関しては 22ヤード機(20.1m)で長さ25.3m、重量は36トンとあります。
二階建てを平屋にした体育館のイメージでしょうか。

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同社によれば 
10.6ヤード/9.7m/針数360本
15ヤード/13.91m/針数514本
16.3ヤード/14.9m/針数552本
22ヤード/20.1m/針数744本
となっています。
日進月歩の技術革新で
28ヤード(25m表示)
の機械も登場しています。
日本に導入されたとは、まだ聞いてません。

現在日本にある機械は、長さ15ヤード と21ヤードの2種類が多いのですが、中でも一番台数の多い機械は15ヤード機です。
長さに対して510本~520本(13.7m~14.0m表示)の針が1インチごとに装備されています。

cotton lace

ところで、ここでの1インチは2.54cm ではありません。1インチ/2.7cm です。
1インチ/2.7cm はフランスインチと言い、刺繍レース業界標準になっています。
日本にも尺間法があった様に、その昔ヨーロッパには各国独自の計量単位が存在してたのです。
柄の大きさ(リピート)は、この針間で決まって行きます。

bogy

針間 2.7cmの送りの柄をインチゲージと業界では言っています。
何故か解りませんが4/4(よんよん)とも言います。
以下5.4cmの柄を2インチ柄若しくは8/4(しはち)、8.1cmの柄は3インチ柄、若しくは12/4(しのじゅうに)と続いていきます。
3/4(しさん)ゲージとか6/4(しろく)ゲージといった特殊な針間の柄も存在しています。

世界のエンブロイダリーレース機械メーカーはフォーマック系と
サウラー系の2種類に分けられます。
大きな違いば、製図の倍率が異なります。
フォーマック系、ザンクス、日立、平岡は6倍、
サウラーとレッサーは10倍に拡大したドラフトで目を拾っていきます。

サウラー (サウラー財閥と呼べるくらいの会社です。)
レッサー (レッサーの機械は、カタログ以外見たことありません。)

注:Embroideryの場合は、柄の送りの大きさによって何インチ柄と呼びますが、Raschelの場合は、巾に対して(細巾を作る場合)何インチ柄と呼びます。 この時は、1インチ/2.54cmで設計します。ややこしいですね! 
巾は、インチ表示、長さは、ヤード表示が、世界標準の生地規格になっています。
巾に対して50cm動く機械をスタンダード、100cm動く機械をジャイアント、120cm稼動する機械は、スーパージャイアントなどと呼びます。
子供番組のヒーローみたいなどと笑わないで下さい。
全面に刺繍するオールオーバーを作るときには、結構な問題になるのです。
糸の掛け方や 表糸、裏糸の変化 パンチの打ち方 刺繍方法 後加工等 本当に色々なテクニックがあります。
先人の知恵を見る様でただ感心するばかりです。

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刺繍する基布にも色んな種類があります。
綿のような布帛地に加工したものが極一般的ですが、Tulle地に刺繍すれば、Tulle Lace(チュールレース)となります。
Tulleネット自体は、ラッセルレースです。
10年程前までは、ナイロン100% のネットが殆どでしたが、常温で染まり易いポリエステル糸が開発され、ポリエステル100%Tulleも急速に普及しています。
ネットも刺繍糸もポリエステル100%が、インナー業界の主流に成りそうです。
時には、メロンTulleと言うおいしそうなネットも使われます。
孔を明ける為には、ボーラーと言う錐(キリ)を付けます。


        

Chemical Lace(ケミカルレース)の場合は、水溶性ビニロン(ソルブロン)や水溶性の不織布(ソルシート)に刺繍した後で基布を溶かします。
基布を溶かす作業を溶解と言います。その昔は、シルクの基布に化成ソーダなんて危険な溶解方法っだったらしいです。
こうなると命懸けですなー。
基布を熱によって粉にしてしまう方法もあります。マタイ加工と呼びます。インテリア関係でよく使用されます。
カーテンの裾に付けるケミカルレースをマクラメと呼んだりします。本来の伝統的マクラメレースとは、違った言葉の使い方をしています

戦後、前述の東邦レースが東京都から埼玉県に引っ越す折に、分解、組み立てを請け負った日立が国産初のエンブロイダリーマシーンを開発しました。
そして特許等の問題から、それを引き継ぐ形で平岡製作所が平成に入るまで生産していました。
残念ながら現在、日本にエンブロイダリーレースの機械メーカーは存在していません。

orion

良く調整されたボーラーと滑脱寸前まで計算されたパンチング。
「何と言うこと無い」と思われる様な 綿の細幅レースを、くれぐれも侮ってはいけません!
これこそが、エンブロイダリーレース の魅力なのです。